日本の時刻制度の話

“時”についての最も古い記録として「日本書紀」に“漏刻(水時計)”のことが載っています。漏刻の時代の時刻制度は、奈良時代などと同じように1昼夜を12等分していたと思われます。12振(しん)刻に区切った時刻には、十二支をあてはめて呼びました。子(ね)の刻とは現在の午後11時から午前1時の2時間分をいい、午(うま)の刻とは午前11時から午後1時をいいます。

現在、私たちは1昼夜を24等分して1時間毎に区切った時刻を使っていますが、これらは定時法と言います。これとは別に夜明け・日暮を境にして昼と夜を区別し、季節により長さの違う昼と夜をそれぞれ6等分して時刻を決める方法を不定時法といいます。 奈良・平安時代は庶民の生活は別として、一部で定時法が使われていましたが、鎌倉・室町時代は不定時法で、江戸時代は定時法と不定時法が併用され、不定時法 は明治5年まで続きました。

そして1872年(明治5年)12月3日(太陽暦では明治6年1月1日にあたる)に国の暦が太陰太陽暦から太陽暦に変わり、その一環として現在と同じ定時法の時刻制度が定められました。